11/7/2013
自分好みの危険性.txt
変更日 2012年11月1日 23:24
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「インターネットを通して情報が溢れる現代社会。誰もが簡単に自分の閉じた世界を作り上げてしまう。好きなモノを集めて、サイトでも勧められて、結局好きな物に囲まれた井の中で暮らしている。つまりは、全くリスクを取る事無く『これを買った人は、これも買っています。』に従っていれば、好みのものが集まる。能動的なインタラクティブさがあるはずのネット上で、受動的なテレビ鑑賞と全く変わらない消費サイクルが出来上がってしまった。
フカフカのソファーから立ち上がらないのと同じで、次第に人々は嫌いな物、必要としない物を無視するようになる。情報をシャットダウンする事が簡単になったことで、次第に歯車が加速する。『私には必要ない、興味ない』事で溢れる世界に嫌気が差して、自分のワンダーランドに引き篭ってしまう。
自分が創造者の世界に浸る事を反対しているわけではない、ただ少なくとも若いうちは周りの世界を理解しようと努力するべきなのではないだろうか。新しい世界に触れて、刺激を受ける機会を後から求めても訪れないのだから。」
KINFOLKを初めて読んだのも、ベルリンだったな。
10/8/2012
自分の習慣を替えられるのは、自分しかいない
自分を幸せにできるのも、自分しかないない
自分を教育できるのも、自分しかいない。
最終的に自分の人生に責任を持てるのは、自分の親友でも、大学の恩師でも、高校の担任でも、田舎のお爺さんでも、自分の親でも兄弟でもない、自分ただ一人なのだ。家族が見守ってくれた温かい家から巣立ち、自分の道を歩き始めた自分を信じられるのも自分だ。こうやって書くと、孤独な人に見られるかも知れない。それはそれでいい、最終的な見え方を決めているのも自分なのだから。本当の意味で「やりたいことをやれ」と自分に言えるのも、また自分なのだから。
出会うべき人に会うために、何をするべきなのか。
自分自身を教育するためには、何をすればいいのか。
自分のことは、自分で考える必要がある。
立ち止まって考えて観る価値は、あると思う。
学生らしく、学生に甘えず、頑張りたい。
07/5/2012
出国直前に話がまとまったプロジェクトが、ゆっくりと動き始めた。両足突っ込んで動かしていただけに、密に連絡を取ろうとすると日本との時差がもだかしい。インターネットの時代となり、世界の情報を瞬時に追うことが可能となったが、その度に思い知らされるのは、現場を離れない物質こそがライブを盛り上げる最高のエッセンスである事。全てを支配することを不可能だと分かった上で、分の背丈にあったプロジェクトの進め方を、現場でも遠方でも試し続ける他無い事も理解し始めた。
07/1/2012
此の所は、不思議な天気が続いている。京都を彷彿とさせる猛暑が来たと思えば、
次の日には、レディー・ガガのコンサート宛らの嵐が吹き荒れた。